第20回 メルマガの答え・・・

問 題… 首都高の建設において、世界でも稀な道の通しかたとは?

こたえ… 川の上や海の上、橋上空に道路を建設した工事と想像された方も多いと思いますが… こたえは、川を干拓して道路にした工事です。


 日本で最初に河川を利用して建設された道路は、首都高速道路ではなく、KK線(東京高速道路)です。KK線は戦後の銀座復興と渋滞緩和のため、京橋川・外濠川・汐留川を埋め立てて建設されました。

 また、KK線は、京橋JCT~汐留JCT間(正確には白魚橋乗継所~汐留乗継所間)を走る約2㎞の無料自動車専用道であり、銀座や有楽町を貫いています。KK線は、首都高よりも一足早く1959年に部分開通し、1966年に全線開通しました。

 完成したKK線の技術は、首都高の建設にそのまま生かされました。
 なぜなら、川は公有地であり、用地買収が極力抑えられるため、いきなり突貫工事を始めることができたからです。

 一方、東京の内陸部河川の多くは、残土処理(戦災で発生した焼土とがれきと灰の処理)により、すでに埋め立てられていました。

 1959年12月 海が近く、排水がしやすいという利点があった築地川(三吉橋から南門橋まで)が、首都高になることが正式決定しました。同年5月には東京オリンピック開催も決定しています。当初、周辺地域の人々は、景観の観点から築地川を干拓して道路にする工事を反対していました。

 しかし、自動車交通の発展やオリンピック開催による都市設備の急進、時代の要請に従い、築地川の変化はスムーズに受け入れられました。

 首都高は、約60年の時を経て、今年ふたたび東京オリンピックを支える交通インフラとなりました。そして、今年も選手たちの夢や努力を運ぶ、重要なルートを担っていくことでしょう。

(一財)日本地図センターが作成した「東京時層地図」を加工
            万年橋から采女橋を見る

〈出典:築地川が首都高速道路になるまで・明治時代から終戦編―消えた川の歴史と向き合う― – 蓄積ヒストリー (hatenablog.com)

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